紧急求助,麻烦高手帮忙翻译一下,不胜感激
发布网友
发布时间:2023-10-01 01:39
我来回答
共2个回答
热心网友
时间:2024-10-17 01:12
日本人喜欢说“すみません”,中国人喜欢说“ありがとう”。
日本人は“すみません”という挨拶言叶を言うのがすきだが、それに対して、中国人は“ありがとう”という挨拶言叶を言うのが好きである。
比如,踢球的时候让别人帮忙把球踢过来,中国人会对对方说“ありがとう”,日本人则会对对方说“すみません”。再比如说问路的时候,如果被问的人很难回答出来,中国人会对对方说说“ありがとう”,而日本人会说“すみません”。
例えば、フットボールをやる时、他人から自分の方へ足で蹴ってきてもらう场合、中国人は相手に“ありがとう”を言う、日本人の方が相手に“すみません”を言う。また、道を寻ねる例を挙げてみると、闻かされて答えられなかったら、中国人は相手に“ありがとう”を言うが、日本人は“すみません”を言える。
语言反映了一个民族的思维,所以,要追究其根本,就要从一个民族的思维方式说起。
言语というものは民族思惟の一つを反映するから、根源を究明するには、民族の思惟方式から言い出すだろう。
曾经听一个日本朋友说过,日本人从小就受到“不给他人添麻烦”的教育。尤其在学校,几乎可以说是彻底地并且反复的地教育学生“不给他人添麻烦”,要求自己的事情自己做好,个人不管有什么问题和困难都要尽量自己解决,而不要去打扰别人。
かつて日本人の友达から闻いたが日本人は子供の时から「他人に迷惑をかけない」という教育を受けるそうである。とにかく、学校でほとんど彻底的に、更に缲り返して缲り返して学生に「他人に迷惑をかけない」を教え込んでいる。自分のことは自分でちゃんとやり、个人はどんなに难しさや问题やあっても、できるだけ他人に邪魔しないように自分で解决する。
而中国的教育是“助人为乐”,是以主动积极对外为方向的,自己认为对别人是好事,就主动积极地去做。当然,个人认定的事情,必然包含个人特有的个性成分。在认定是正确的“好事”的原则基础之上,主动发挥个性。
中国の教育は「他人を助けると楽しい」というのが自発で积极的な対外を方向性として、自分は他人にとってはいいことだと考えたら、自発で积极的にやる。むろん、个人は认定されることは必ず个人の特有な成分を含む。正确で「いいこと」の原则に基づいて、自発的に个性を発挥する。
“不给他人添麻烦”是以主动积极的对内为方向性的,经过自我反省,认为对别人是“坏事”,就自觉不做。在人与人的接触上,带有很强的消极性。自己有了困难,“不给他人添麻烦”,尽可能自我忍耐,自我解决。这样一来,个性成分就不容易发挥出来。这样的人,对重视集体、协同做事的日本社会来说,是需要的人才。
「他人に迷惑をかけない」ということは自発的で积极的な対内を方向性として、自己反省を通して、他人にとって「悪事」だと思ったら自発的にあきらめる。人と人の接触の上で、强い消极性がある。自分は困难があると、「他人に迷惑をかけない」になって、なるべく自己忍耐で自己解决する。このようにして、个性の成分がなかなか発挥しにくくなる。こんな人は集団作业、协力作业を重视する日本社会にとって、必要な人材である。
有了这个认识,咱们在来回到上面的例子。踢球的时候,中国人认为对方帮了我的忙,所以会说“ありがとう”。而日本人认为,对方帮我把球踢过来,耽误了对方的时间,给对方天了麻烦,所以会说“すみません”。问路的情况也是如此,即使对方不知道答案,中国人也会认为对方很想帮我的忙,所以还是会对对方说“ありがとう”,相对的,日本人会觉得对方回答不出问题,让对方感到了为难,所以会说“すみません”。
こんな认识がわかると、私たちは上记の例に戻ろう。フットボールをやる时、中国人は相手が自分を助けると思ったら、“ありがとう”を言うのが当然である。日本人の方が相手に足で蹴ってきてもらうと时间がかかったり、迷惑をかけたりして、“すみません”を言うのが当然である。道を寻ねる场合もそうであり、相手は答えを分らなくても、中国人は相手が自分のことを助けたいから、“ありがとう’を言って感谢する、それに対して日本人は相手に答えさせなかったり、そして、相手にこまらせたりし、“すみません”を言うのが当たり前のことである。
非软件所译,请楼主参考!!
热心网友
时间:2024-10-17 01:13
好复杂