“歌舞伎演员”是女性还是男性?
发布网友
发布时间:2022-04-23 18:30
我来回答
共5个回答
热心网友
时间:2023-07-26 04:38
是男性~~~~
为什么的话请看下面~~~
歌舞伎是日本典型的民族表演艺术,起源于17世纪江户初期,近400年来与能乐、狂言一起保留至今。
歌舞伎的始祖是日本妇孺皆知的美女阿国,她是岛根县出云大社巫女(即未婚的年青女子,在神社专事奏乐、祈祷等工作),为修缮神社,阿国四出募捐。她在京都闹市区搭戏棚,表演《念佛舞》。这本是表现宗教的舞蹈,阿国却一改旧程式,创作了《茶馆老板娘》阿国女扮男装,身着黑衣,缠上黑包头,腰束红巾,挂着古乐器紫铜钲,插着日本刀,潇洒俊美,老板娘一见钟情,阿国表演时还即兴加进现实生活中诙谐情节,演出引起轰动。阿园创新的《念佛舞》,又不断充实、完善,从民间传人宫廷,渐渐成为独具风格的表演艺术。
歌舞伎三字是借用汉字,正名以前原来的意思是“倾斜”,因为表演时有一种奇异的动作。后来结它起了雅号“歌舞伎”:歌,代表 音乐;舞,表示舞蹈;伎,则是技巧的意思。
日本各地的女优纷纷效仿阿国竞相演出歌舞伎,一些武士为争夺女优大打出手,甚至互相厮杀。1629年,德川幕府以败坏风俗罪禁止歌舞伎演出。直到1653年,才允许只有男子演出的“野郎歌舞伎”,女性角色由男性扮演,称为“女形”,即旦角。1670年后,这种演出增多,而且有了剧本,内容情节和表演手法更臻成熟。 1751—1801年是歌舞伎的全盛时期。以后30年,歌舞伎又完成了人物性格表演上的典型化、个性化和艺术化,表演程序也被固定下来。歌舞伎演员为世袭制。演员父子,代代相继。当时以江户(今东京)、大阪、京都三市为中心,歌舞伎成了市民喜爱观赏的表演艺术。到19世纪明治时代,日本这门传统艺术成为一种越来越古典的戏剧。
歌舞伎的主题大致有两类:一是描写贵族和武士的世界,二是表现民众生活。剧目可分四种:“义大夫”狂言,通过舞蹈表演滑稽的故事剧;“时代物”狂言,是借古喻今的历史剧;“世话物”狂言,描写庶民生活和爱情故事剧;称作“所做事”狂言的舞蹈剧,内容涉及忠孝仁义等道义,对二般市民进行勤俭、行善、惩恶的道德教育。
目前在日本歌舞伎比任何一种古典戏剧更受欢迎,近几年又产生了不少新的剧本和制作。歌舞伎与中国京剧素有“东方艺术传统的姊妹花”之称。晚清诗人黄遵宪在《日本杂事诗》中赞美道:“玉萧声里锦屏舒,铁板停敲上舞初,多少痴情儿女泪,一齐弹与看芝居。”他把歌舞伎看作“异乡境里遇故知”了。
说起歌舞伎,对于不了解日本文化的异邦人的联想总会有如下两种:首先是鬼!看不出性别的白脸人浮现在幽暗的背景前,拖着比京剧还长的唱腔,舞台上似乎还飘着浮世绘的落叶;其二是“伎”字引发的歧义,还有艺妓在日本电影里的频繁现身。这些都使我们无法忽略歌舞伎这个行业的江湖身份,即使是“国粹”也是来源于民间,有它自己辛酸的成长历程。
现在在日本,AV小电影肯定比歌舞伎要出名无数倍;而且,坐落在东京的歌舞伎町是闻名全球的*,是旅游旺地。那么真正的歌舞伎是什么呢?
歌舞伎诞生于400年前的1603年,当时的歌舞伎(kabuki)并不是现在这样的歌、舞、演剧浑然一体的艺术,也不是男扮女装,而是一种加有简单故事情节、具有宗教色彩的舞蹈,而且是女扮男装。
歌舞伎的创始人是日本关西岛根县出云大社的女祭司阿国,为了募集木殿的修缮费,她来到京都,改革了“念佛踊”(念佛踊经时的动作舞蹈),加入简单的故事情节作为一种演艺公开表演,在京都、大阪等地引起强烈反响,甚得民众欢迎,是当今歌舞伎的原型。阿国也因此成为歌舞伎的创始人。
歌舞伎从民俗发展成日本的国粹文化,经历了波折的成长过程,由“游女(妓女)歌舞伎”到“若众歌舞伎”,最终发展到现在的歌舞伎的原型“野郎歌舞伎”,逐渐成为现在这样专门由男演员演出的纯粹的歌舞演剧艺术。
阿国创建了歌舞伎后,在京都、大阪一带的“游女”受其影响组织了许多“游女歌舞伎”,她们除了演剧之外还从事卖淫活动。当时的日本德川幕府对“游女歌舞伎”的淫乱行为采取了取缔措施,于1629年公布禁止女人演戏的法律,结束了“游女歌舞伎”的时代。女人演戏被禁止,并没有中断歌舞伎的发展,剧团变更办法,以年轻貌美的男子扮演女人的角色,产生了歌舞伎中的“女形”,这种歌舞伎被称为“若众歌舞伎”。
“若众歌舞伎”中的青年男子演员因为年轻貌美,深受女性观众的喜爱,演员生活作风糜烂,经常和观众发生恋情,时有殉情、私奔等引起社会轰动的事件发生。幕府虽然采取多种措施加以改善,但难见效果,于是在1652年明令禁止“若众歌舞伎”演出活动。
然而,歌舞伎毕竟成为当时日本民众最主要的娱乐活动,幕府禁止无法断绝民众的喜好,剧团方面便想出了对付禁令的方法,把青年男子演出的歌舞伎改为成年男性演出,于是出现了“野郎歌舞伎”,也就是现在日本歌舞伎的原型。歌舞伎从此改变了侧重以美媚之貌蛊惑观众的做法,转而追求演技,逐渐发展成专门由男演员演出的纯粹演艺。
参考资料:http://ke.baidu.com/view/31884.htm
热心网友
时间:2023-07-26 04:38
之前是女的,后来也有男的参加
かぶ‐き【歌舞伎】
歌舞を演奏すること。日本后纪「伊势斎宫新尝会を停む。但し―を以て九月祭に供す」
かぶき‐うた【歌舞伎呗】
歌舞伎剧に用いられる呗。初期は地呗・小呗を主とし、后には长呗が代表的となり、所作事しよさごと呗と下座げざ呗とに分れる。
かぶき‐おどり【歌舞伎踊】¨ヲドリ
歌舞伎初期の女歌舞伎または若众歌舞伎の踊。流行呗にあわせて踊ったもの。
かぶき‐おんがく【歌舞伎音楽】
歌舞伎剧に伴う音楽。所作事しよさごとの伴奏に当る所作音楽と、舞台の音楽効果のための下座げざ音楽とがある。
かぶき‐きょうげん【歌舞伎狂言】¨キヤウ¨
(能狂言・操あやつり狂言に対して) 歌舞伎剧。また、その脚本。
かぶき‐げき【歌舞伎剧】
阿国おくに歌舞伎に発源し、江戸时代に兴隆、独自の発达を遂げたわが国特有の演剧。史実・伝说や社会事象を、俳优が主として江戸时代およびそれ以前の人物に扮し、音楽・舞台装置の补助によって演ずる技芸で、舞踊の要素をも含む。歌舞伎芝居。旧剧。
かぶき‐こ【歌舞伎子】
江戸时代、歌舞伎剧に出る少年俳优。かげで男色を売った。舞台子。歌舞伎若众。
かぶき‐ざ【歌舞伎座】
__歌舞伎剧を演ずる一座および剧场。
__东京都*区银座(もと木挽町)にある剧场。主として歌舞伎剧を上演。1889年(明治22)开场。
かぶき‐しばい【歌舞伎芝居】¨ヰ
__江戸时代、橹やぐらをあげることを许された芝居。
__(操芝居・人形芝居に対していう) 歌舞伎剧。
かぶき‐じゅうはちばん【歌舞伎十八番】¨ジフ¨
市川家で代々勤めてきた当り狂言十八番、すなわち助六・矢の根・関羽・不动・象引・毛抜・外郎売ういろううり・暂しばらく・七つ面・解脱・嫐うわなり・蛇柳じややなぎ・鸣神・镰髭・景清・不破・押戻おしもどし・勧进帐をいう。
かぶき‐じょうるり【歌舞伎浄瑠璃】¨ジヤウ¨
歌舞伎で用いられる各种の浄瑠璃。普通は人形剧にも用いられる义太夫节を除いて一中节・河东节・豊后节・常磐津节・清元节などを指して言う。
かぶき‐そうし【歌舞伎草子】¨サウ¨
创始期の阿国おくに歌舞伎・女歌舞伎を素材に絵と词によって仕立てた草子・絵巻の総称。「国女歌舞妓絵词」など。
かぶき‐ちょう【歌舞伎町】¨チヤウ
东京都新宿区南部にある町。饮食店・映画馆・剧场などが集中する歓楽街。
かぶき‐どう【衡胴】
铠よろい・腹巻・具足の类の立挙たてあげと草摺くさずりとの间の胴を取り巻く部分。长侧ながかわ。
→大铠
かぶき‐ねんだいき【歌舞伎年代记】
江戸歌舞伎の兴行年表の総称。狭义には乌亭焉马编のもの(寛永元年~文化元年)を指す。広义には石冢豊芥子编(~ 安政6年7月)・田村成义编(~ 明治36年)・利仓幸一编(~ 明治45年7月)のものを含む。のち伊原敏郎「歌舞伎年表」(永禄2年~明治40年)8巻が出た。
かぶき‐もの【歌舞伎者】
かぶ‐き【歌舞伎】
歌舞を演奏すること。日本后纪「伊势斎宫新尝会を停む。但し―を以て九月祭に供す」
かぶき‐うた【歌舞伎呗】
歌舞伎剧に用いられる呗。初期は地呗・小呗を主とし、后には长呗が代表的となり、所作事しよさごと呗と下座げざ呗とに分れる。
かぶき‐おどり【歌舞伎踊】¨ヲドリ
歌舞伎初期の女歌舞伎または若众歌舞伎の踊。流行呗にあわせて踊ったもの。
かぶき‐おんがく【歌舞伎音楽】
歌舞伎剧に伴う音楽。所作事しよさごとの伴奏に当る所作音楽と、舞台の音楽効果のための下座げざ音楽とがある。
かぶき‐きょうげん【歌舞伎狂言】¨キヤウ¨
(能狂言・操あやつり狂言に対して) 歌舞伎剧。また、その脚本。
かぶき‐げき【歌舞伎剧】
阿国おくに歌舞伎に発源し、江戸时代に兴隆、独自の発达を遂げたわが国特有の演剧。史実・伝说や社会事象を、俳优が主として江戸时代およびそれ以前の人物に扮し、音楽・舞台装置の补助によって演ずる技芸で、舞踊の要素をも含む。歌舞伎芝居。旧剧。
かぶき‐こ【歌舞伎子】
江戸时代、歌舞伎剧に出る少年俳优。かげで男色を売った。舞台子。歌舞伎若众。
かぶき‐ざ【歌舞伎座】
__歌舞伎剧を演ずる一座および剧场。
__东京都*区银座(もと木挽町)にある剧场。主として歌舞伎剧を上演。1889年(明治22)开场。
かぶき‐しばい【歌舞伎芝居】¨ヰ
__江戸时代、橹やぐらをあげることを许された芝居。
__(操芝居・人形芝居に対していう) 歌舞伎剧。
かぶき‐じゅうはちばん【歌舞伎十八番】¨ジフ¨
市川家で代々勤めてきた当り狂言十八番、すなわち助六・矢の根・関羽・不动・象引・毛抜・外郎売ういろううり・暂しばらく・七つ面・解脱・嫐うわなり・蛇柳じややなぎ・鸣神・镰髭・景清・不破・押戻おしもどし・勧进帐をいう。
かぶき‐じょうるり【歌舞伎浄瑠璃】¨ジヤウ¨
歌舞伎で用いられる各种の浄瑠璃。普通は人形剧にも用いられる义太夫节を除いて一中节・河东节・豊后节・常磐津节・清元节などを指して言う。
かぶき‐そうし【歌舞伎草子】¨サウ¨
创始期の阿国おくに歌舞伎・女歌舞伎を素材に絵と词によって仕立てた草子・絵巻の総称。「国女歌舞妓絵词」など。
かぶき‐ちょう【歌舞伎町】¨チヤウ
东京都新宿区南部にある町。饮食店・映画馆・剧场などが集中する歓楽街。
かぶき‐どう【衡胴】
铠よろい・腹巻・具足の类の立挙たてあげと草摺くさずりとの间の胴を取り巻く部分。长侧ながかわ。
→大铠
かぶき‐ねんだいき【歌舞伎年代记】
江戸歌舞伎の兴行年表の総称。狭义には乌亭焉马编のもの(寛永元年~文化元年)を指す。広义には石冢豊芥子编(~ 安政6年7月)・田村成义编(~ 明治36年)・利仓幸一编(~ 明治45年7月)のものを含む。のち伊原敏郎「歌舞伎年表」(永禄2年~明治40年)8巻が出た。
かぶき‐もの【歌舞伎者】
异様な风体をして大道を横行する者。軽佻浮薄な游侠の徒や伊达者。好色一代男5「博多小女郎と申して―ありける」
かぶき‐もん【冠木门】
冠木を2柱の上方に渡した屋根のない门。衡门こうもん。
かぶき‐やくしゃ【歌舞伎役者】
歌舞伎剧に出演する俳优。歌舞伎俳优。
热心网友
时间:2023-07-26 04:39
是男的,而且是代代相传,子承父业。外人干不了这行。日本古代还有女歌舞伎演员,但现在完全没有了。
热心网友
时间:2023-07-26 04:39
http://www.zaxue.com/article/3/2008/2008110632671.html
上面的资料可以看看。
大概的发展过程是 一开始全是风尘女子,慢慢开始有男性,之后禁止女性出演,近些年又开始有个别女性出现,但主体还是男的。
热心网友
时间:2023-07-26 04:40
男演员