发布网友 发布时间:2022-04-29 13:58
共3个回答
热心网友 时间:2023-10-09 12:49
日本古代有语言而无文字。虽然现代比较语言学者,以日本与从音韵、语法及语汇三者看起来,系属巫拉尔、阿尔泰(Ural-Altai)语系统,质言之,它本来是和蒙古语、通古斯语、土耳其语及朝鲜语视同依系统的。但事实上,日本的语言问题,现在尚未获得完全解决。日儒新渡户盗造曾云:「在语言学上看来,日本语是伶仃的孤儿,和它的左右前后各方面的言语没有什么关系的。」事实上,日本人自有历史开始,为了要增加语言的丰富,曾取用了许多中国的字音,此外如朝鲜及西欧的荷兰、葡萄牙、英国等语言亦对于日本的语言多少做过些贡献。 日本在汉字未传入之前本无文字,此一观点早为公元九世纪时的一部份日本学者所主张。虽然也有人主张「固有文字存在说」-即所谓「神代文字说」,如德川时代后期的国学者平田笃胤(1776-1843)从国粹主义立场着有「神字日文传」一书,力陈日本早在神代便有文字。惟事实上,这是留传于对马阿比留家者,为朝鲜谚文的窜改,是故所谓固有文字说不足凭信,而日本古代,现在已为一般学者所承认。不宁惟是,多数日本学者咸主张日本之有文字是在汉人渡日之后。关于汉字何时传入日本,当在正史记载汉字之传入日本之前。史籍之记载汉字汉学之正式传入日本者,当为应神天皇之世(约当公元三世纪末叶,即二四八年王仁从百济渡日,献论语十卷及千字文一卷,是为汉字汉学传入日本的开始),自汉字输入日本后,历经岁月,迨至八世纪中叶,日人始用汉字楷书的偏字,造成片假名,又用汉字草书的偏旁造为平假名,以为注汉字音,及标注日本语音之用。当时称汉字为男文字,而称假名为女文字。日本学者有谓吉备真备作片假名,弘法大师空海作平假名,皆不足凭信,充其量或由他们两人集其大成而已。汉字传入日本后,不仅成为公家用以记录史实,且为一般学者用以著作写书,而成为当时日本唯一的正式文字。不过汉字在日本的读法有训读及音读两种。前者即日本原来的语言,而后者则系中国传入之音。然音读又因传入的时地之异而复分为汉音、唐音、吴音。汉字传入日本后,不仅促进了日本古代文化的进步,同时亦因而促成了所谓片、平假名的日本文字的出现。虽然自公元九世纪初叶以还,因日本所谓的「国风文化」的确立,绝大多数书籍都采用日本文字(假名)记述,但汉字降至明治初年,一直为公家官方用来记事的正式文字。日本自海禁开放与欧美交通往来后,日本语言中复混有许多外来语(日人称为「舶来语」),早在公元1866年则有前岛密(日本邮政制度创始人),其人发表所谓「废止汉字意见书」,倡导全部用假名而不用汉字,其后彼自由民权论大师福泽谕吉亦在1873年发表「文字之教」一文,主张不用生僻的汉字把常用汉字*为两三千字,为*当局所采用。迨及昭和五年(1930年)前后时,富有急进的教育家高唱「禁用汉文,废止汉字」,甚至在第二次世界大战后,更有主张「废止汉字,改用罗马字」,如盟军总司令部(CHQ )所聘请的教育使节团亦曾建议日本**汉字之使用,俾能使有更多时间以学习其它分野的事物,以提升教育效果。日本*接受此建议,规定在国民义务教育期间的教育汉字为八百五十字。甚至于如安本美典在1967年年初提出汉字在「二百三十年后消灭论」,凡此种种皆为崇洋心理作祟的结果。自前岛密逾1866年提倡废止汉字到今年将近130 年,百余年来汉字仍未在日文中废掉,后来鉴于 850字的教育汉字无法用以表达日常的文章,日本*遂发表「常用汉字表」,规定常用汉字1850字,但日本的国语审议会后来又建议改为常用汉字1945字,由此可见汉字目前在日本还有其根深蒂固的力量。热心网友 时间:2023-10-09 12:49
日本是海洋围绕的国家,海鲜非常充足.寿司的材料主要是海鲜,光饭团没人吃的. 寿司原本是醋腌的饭团,这样可以保持新鲜.加上日本有生吃海鲜的习惯,寿司便成为出海打鱼人的干粮. 深海的鱼因其无污染和寄生虫是可以直接吃的,而且味道鲜美.日本的寿司文化流行那就是必然的了. 我国大多数领土是陆地,漂泊海上是很辛苦的,每天都面临死亡的危险,能种地的基本都不出海.我国渔民也是直接吃生鱼的.寿司文化不流行也正常.顺便说一句, 中国的寿司没那么新鲜的,你最好吃烤馒鱼的,生的要吃也去日本吃,呵呵. 日本食文化现在已经退化了,现在追求快,用料和烹饪没有以前那样精致了, 以前一碗面的汤底要用猪骨和海鲜慢火熬制20小时以上,装盘讲究靓丽,色彩鲜明给人以清新别致的感觉,材料分量搭配小巧但不小气.餐馆气氛柔和亲切. 根据季节不同推出不同的开胃小碟,夏天的清凉,冬天的温暖,你有一种不在家中却胜似家庭的感觉. 下面是我翻译的一段关于日本饮食的文章,你看看一定开眼界的.... __________________________________________________ 居酒屋(いざかや)とは、酒类とそれに伴う简単な料理を提供する饮食店である。 居酒屋是提供酒类和下酒菜的饮食店。 主に酒类を提供している点で一般のレストランと异なる。 主要是提供酒类是与一般的饭馆不同的地方。 またバーやパブなどは洋风の店舗で洋酒を中心に提供しているのに対し、居酒屋は和风でビールやチューハイ、日本酒などを提供している店が多く、バーやパブに比べると料理の种类や量も多い。 相对与西洋风格的“BAR”和“PUB”比较的话,居酒屋的店铺样式是“和式”的,提供各类日本酒的店铺非常多,下酒菜的样式也多得多。 但し、英语の「バー」や「パブ」を日本语訳で「居酒屋」としていることもある。 但是,英语的“BAR”和“PUB”翻译成日语都是“居酒屋” 料理として主に焼き鸟を提供する店は、「焼き鸟屋」と呼ばれることが多い。焼き鸟屋は店内に焼き鸟を焼く台を设置してあり、客の目の前で焼いていることが多い。 下酒菜主要提供烧鸡的店叫“烧鸡屋”等称呼,烧鸡屋的店内设置有烧鸡用的烧鸡台,在客人眼前表演烧鸡的店很多。 料理として主におでんを提供する店は、「おでん屋」と呼ばれることが多い。おでん屋はしばしば店舗の形式ではなく屋台の形式で営业される。 下酒菜主要提供一种叫“关东煮”(用豆腐,萝卜,芋头蒟蒻,粉块、鱼肉丸子,等炖的杂烩)的日式杂物火锅的店很多叫“关东煮屋”,关东煮屋的营业方式通常不是店铺的方式,而是屋台的方式。 焼肉店の中にも居酒屋の形式で営业をしているところもある。そういった店ではしばしば肉(筋肉部)よりもホルモン焼きを主として出す场合が见られる。 其中也有烧肉店的方式经营的,这种店经常是经营烤内脏串,筋肉之类为主。 お好み焼きの看板が挂かっていても、ビールの看板も一绪に出ている店や夕方から深夜にかけて営业する店などはお酒を饮む店であり、「お好み焼き屋」でないことがあるので注意が必要である(お好み焼きを提供しない店すら存在する)。 也有挂“好烧屋(杂样煎菜饼)”招牌的,从傍晚到深夜一直营业并提供酒水的店也有。但不一定都有杂样煎菜饼,但一样有酒和下酒菜。 店内に大きな炉を设置し、そこで焼いた料理を出す店は、「炉端焼き(ろばたやき)」と呼ばれることがある。炉端焼きでは、炉越しに料理などを渡すためにしゃもじを巨大にしたような特别な道具を使うことがある。 店内设置大的烤炉的店是专门做烧烤的饮食店,又叫“炉边烧”,有传菜用的巨大的特别工具。 1人または2人の少人数で运営し、あまり大きくない店舗(しばしばカウンター席のみ)で営业している店は「小料理屋」と呼ばれることもある。特に、料理に凝ったものを用意している场合にこの名称が用いられる。 有1到2人经营的小料理屋,也有大的店铺设置有大的柜台,准备和陈列很多的样菜(注:塑胶仿真的样菜) 饮料として主にビールを提供することを目的としている店は、ビアホールと呼ばれる。一般の居酒屋よりも开放的に作られていることが多く、屋外で営业されるものはビアガーデンと呼ばれる。 也有主要提供啤酒的店,这种店叫啤酒旅馆,比较一般的室内居酒屋来说,经营方式开放,户外经营的也叫啤酒花园。 かつての居酒屋は、看板代わりに赤い提灯を店先に掲げていたことが多かったため、居酒屋を「赤提灯(あかちょうちん)」と呼ぶ人はいまだに多い。同様に、縄で作った暖帘を入り口に下げていた店が多かったことから、「縄暖帘(なわのれん)」と呼ぶ人もいる。 从前的居酒屋代替招牌的是写有居酒屋三个字的红灯笼,也有在门口用绳子做的温暖的帘子作为标志,因此又被叫做“绳暖帘” 近年のチェーン店化された居酒屋をこれらの名前で呼ぶ人は少ない。むしろ昔ながらの居酒屋をチェーン店と区别するときにこれらの名前を使う。 近年来随着连锁化的居酒屋的出现,这样的称呼少有人叫了。以前的居酒屋与现在的居酒屋的区别在于现在的店都使用了名字。 现在は老若男女を问わず利用されているが、かつては居酒屋は主に男性会社员や肉体労働者の大众的な社交场として机能していた。これが日本の文化に与えている影响も少なくない。 现在无论男女老幼都可以去居酒屋消遣,以前居酒屋主要是男性公司员工和妓女的大众化的社交场地,着些都因日本文化的影响而改变了。 歌谣曲の题材として取り上げられることが多く、特に演歌で居酒屋の情景が歌われることが多い。 また、日本映画の舞台として取り上げられることもある。 居酒屋也是歌曲应用题材的地方,许多居酒屋有歌舞表演,也经常是日本电影取景题材。热心网友 时间:2023-10-09 12:50
日本饮食文化:历史与现实。可以购买跟阅读这部书